COMIN'KOBE14 ~入場無料のチャリティーミュージックフェス!!~

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RIDER BLOG

4月12日 大船渡~南三陸

大船渡の朝も骨身に凍みる寒さです。

東北の人でもこの時期にこの寒さはあまり無いというぐらいです。

しかも今日ライブをやらせてもらう南三陸さんさん商店街に15:00までに到着しなければいけません。距離もかなりあります。つけんのか?

日の出と共に出発。眠たい、足痛い、体きつい。負の要素で固められた僕を早速峠が出迎えるという最悪のスタート。

スタート

山をなんとか登りきり大船渡を後にして陸前高田市に入ります。そして山を下り朝食を食べます。

朝食

(おいしい牛乳のメ○ジさん、スポンサードお待ちしております。)

気合いを入れるための朝食。風次Pはパンと牛乳、カミングライダーはおにぎりだけ。さみしい…

陸前高田からは復興関係の仕事のトラックが多く道も悪いため、ずっと気を張っていなければいけません。
精神的にも肉体的にもかなり疲れます。しんど。

そして景色は一面津波で流された町の嵩上げ工事だらけ。土ぼこりもかなりひどいです。

土まみれで口がシャリシャリしてもただただ突き進む。

そんな中まずは高田松原の道の駅だった場所へ。

高田松原2

津波の猛威を感じさせる凄まじい光景。震災まで賑わいを見せていたはずの道の駅の姿ではありません。

同所には慰霊碑もあり手を合わせようと建物の中に入ると献花代に上がった一つの花に手紙が添えられていました。

献花

「あなた達がいなくなって3年1ヶ月。」
と書かれているということは、昨日この花を供えに来たのでしょうか。ふいにこの手紙を読んでしまい涙が止まらなくなってしまいました。

高田松原

これを書いた人は津波が来て友人が流された事を聞いたときどんな気持ちだったのか。そしてどんな想いでこの手紙を書いたのか?

この手紙を書いた人の切なさとこの花を手向けた優しさを思うとどうしようもなく涙が止まりませんでした。亡くなった方のご冥福を祈り、手を合わせてきました。

しばらく走り「奇跡の一本松」へ。

奇跡の一本松

松林を津波が襲った中、奇跡的に残った1本の松の木。一度は海水を含んだ土のせいで枯れてしまったそうですが、復興のシンボルとして新たに松を植えてあります。

(※委員会注・一本松はモニュメントとして保存され、その種子や枝から後継樹が育成されております。詳細はWikiへ。)

その土地の人達の復興の大きな願いがこの大きな松の木にあることを肌で感じました。
一本松の松の木から大きな力をもらい、またペダルを漕ぎ出します。

そして気仙沼市に入ります。

気仙沼市2

震災の日、気仙沼の港に津波がきて大きな船が横たわっていく瞬間をテレビの生中継で見て、恐ろしい事が起きていると思い、とてつもない恐怖に画面の前から離れることが出来なかったのを覚えています。

気仙沼市

さらに進むと強風が僕を襲います。ギターを背負っているため風の影響をかなり受け、下り坂でも全然前に進みません。何度も自転車ごと倒れました。

そしてさらに走ると南三陸町防災庁舎がありました。

防災庁舎は震災の日24才の女性職員さんが津波が来ることを防災無線で呼びかけ、逃げ遅れ津波に飲み込まれ亡くなるという悲劇があった場所。
彼女が最後まで避難を呼びかけたその勇姿を称え、取り壊されずに残してあります。

防災庁舎

自分より若い人間がそんな悲劇に巻き込まれた場所を訪れまた逃げなかった勇気をもらいます。

そして、自転車を必死に漕ぎ約束の時間に少し遅れてはしまったけれどもライブ会場の南三陸さんさん商店街へ到着。全く休む間もなく準備をします。
スピーカーを運び音響設備を組み立てます。重たい。
体はきついけど今から演奏出来る嬉しさで頑張ります。

ここはプレハブが集まっている商店街で観光客が全国から来ているとのことでおおにぎわい。

南三陸さんさん商店街

中心にあるフードコートでやらせてもらう予定です。強風の中、商店街をビラを配りながら一周してます。休む間もなく動きまくります。

そしてビラを配った人達が見にきてくださりライブスタート。皆さん温かくむかえ入れてくれました。
しかしライダー自身は身体の限界で余裕がなく自分らしく満足できるライブが出来ませんでした。本当に悔しい。せっかくここまで来たのに悔しい。
慌ただし過ぎて気持ちをうまく作れなかった。悔しい。

でももちろん南三陸町への復興への想いは気持ちを込めて歌わせてもらいました。でも悔しい。
今からもっと成長します。

今日はたくさん声をかけていただきました。

ボランティアの方からも
「いい歌やね!」
と誉めてくださり南三陸町の海の幸(タコ、ホヤ)をご馳走していただきました。
僕も復興へのお手伝いができればと思います。

ライブ終わって問題の宿探し。
南三陸町は津波で流され、かなりの方が未だに仮設住宅で過ごされていて「泊めて」なんて言えません。
困ってる人に助けを求める事は出来ません。しかし夜はやって来ます。サミー。いこの寒さと風の中の野宿は最悪です。
3月11日の夜の寒さは大丈夫だったのでしょうか?

焦りに焦り、色んな窪みやコインランドリーやら雨風凌げる所を探します。
たまたま通り道にあって気になっていた場所に突撃しました。

その名も「太陽村」。

そうです。太陽と虎を思い出していたのです。しかも同じ臭いを感じたのです。

飛び込みで行ってみるとここはボランティアの方を受け入れるテント施設だと言うこと。
早速行って見ると金髪ロン毛の恐モテの村長が登場しました。
村長は僕らの話しを聞いてくれましたが、村に入るには厳しい掟があるようで厳しい審査をされました。

実は盛岡から神戸まで自転車で…」
から始まり交渉すること2時間半、もう後にはひけません。
最終的には歌で交渉しました。

太陽村村長は僕らを歌う復興支援ボランティアと認定していただき入村の許可をいただけました。

そして村を案内してもらいました。
連れて来られたのは謎のプレハブ小屋。
なんとそのプレハブ小屋の中にはアンプやギターやドラムセットまであります。

「曲を作るならここで作れ」

「音楽は魔法だ」

と。
そこからは曲作りに没頭しました。
しかし曲作りに行き詰まりました。
朝から何も食べていない事に気づき食べ物を求め、もう一度商店街へ。

もう全ての閉店していたのですがお店の中からたのしそうな笑い声が聞こえるお店が一軒。準備中の札が掛かっていたけど笑い声に誘われ突撃しました。

中では地元のおじいさまたちの宴が繰り広げられていました。

どう声をかけていいかわからなく、立ち尽くしている僕をみると、おじさまが話しかけてくれました。

「一曲やってみぃ!」と。

ギターが助けてくれました。
リクエストにお応えし美空ひばりを1曲やったら

「兄ちゃんら好きなもん食べれ!」

と。

甘えましためちゃくちゃ甘えました。涙が出ました。

てきた料理もかなりのボリューム。
料理屋の大将ともお話しさせてもらうと、実はさんさん商店街の料理屋の組合長さんでした。
組合長さんは「震災のとき腹一杯食べれなかったからみんなに腹一杯食べさせてあげたい」とすごい量を出してくれました。

そして南三陸町の震災、津波の話しを沢山していただきました。

大きかった自分の店が津波で全部流されたこと、防災庁舎に残された24才の女性をおいて逃げた上司達への怒り、そして何度も

「一度ゼロになったからなんでももやりたいことをはじめることができた」

と熱く語られ2時間ぐらい話していました。

語り

おじいさまたち、志乃屋の大将、おかみさん本当にありがとうございます。
被災地の生の声、不安や希望、そして頑張っての一言。すべて心に染みました。
南三陸町いいところすぎます。この地で聞いた様々な思いも全部自転車に乗せて走ります。

ありがとうございます。

そして太陽村に戻り曲作りと明日の準備をし、今日を終えました。

明日は南三陸町~石巻まで走り石巻のライブハウスBLUE RESISTANCEでライブです。
南三陸町の人達とのふれあいの中でまた力をもらい走り出します。

今日会ったみなさんの優しさを胸に走れ!カミングライダー!

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現在カミングライダー2014は盛岡から神戸に向かって激走中!!

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貴方の応援ツイートが彼のペダルを漕ぐ力になるはずだから!!

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